ワルシャワ中心街から車で約30分の郊外にある、ヴィラヌフ宮殿に行ってきました。
「ポーランドのベルサイユ宮殿」ともよばれているヴィラヌフ宮殿。
宮殿のなかには豪華な家具や美術品が並び、そのきらびやかさに圧倒されます。
この記事では、ヴィラヌフ宮殿の概要や歴史、行きかたや営業時間などの基本的な情報をまとめています。
私が実際に訪れたときの様子はこちらの記事からみることができます↓↓
宮殿の豪華な雰囲気が伝わるように写真多めにしているので、よければあわせてお読みください。
<リンク準備中>
ヴィラヌフ宮殿とは?概要&歴史
ヴィラヌフ宮殿は、ポーランド国王・ヤン3世ソビエスキの夏の離宮として1677年に建設を開始し、1696年に完成しました。
1805年からポーランド初の博物館として公開され、ヨーロッパやアジアから集めた家具や美術品を見ることができます。
ヤン3世ソビエスキって誰?
日本人には全くなじみのない、ポーランド国王・ヤン3世ソビエスキ。
彼の歴史について少し知ったうえでヴィラヌフ宮殿を訪れると、より楽しめるはずです。
(歴史なんて興味ないよ!という方はヴィラヌフ宮殿の見どころまでジャンプ!)
ヤン3世はポーランドの国王でしたが、それだけではありませんでした。
ヨーロッパを救った英雄だったのです。
17世紀、ポーランドは近隣諸国との戦争で国土は荒廃していました。
そんな中さっそうと現れたのが、そう、ヤン3世です。
ヤン3世はポーランド軍を率いて次々と戦いに勝利していきました。
強敵・オスマン帝国との戦いにも見事勝利をおさめ、ヤン3世はポーランドの国王になりました。
当時、ヨーロッパの国々の最大の敵は、イスラム国家のオスマン帝国でした。
現在のトルコを首都としていたオスマン帝国は、アジア・アフリカ・ヨーロッパへとブイブイ進撃して支配地域を拡大していました。
そんなオスマン帝国は、1683年、15万の大軍を率いて隣国オーストリアのウィーンを包囲します。
オスマン帝国との戦いで勝利をおさめてきたヤン3世は、「ウィーンを助けて!」という要請を受けました。
約15万の大軍との数か月間の戦いで陥落寸前だったウィーン。
そこにヤン3世が助太刀参上!
なんとヤン3世率いる3万の軍が、15万の大軍に対してたった1時間で戦いに勝利!
オスマン帝国はこの戦いでの敗北を受けて一気に衰退し、ヨーロッパ諸国はオスマン帝国からの支配をまぬがれました。
ヨーロッパ中の国王や教皇がヤン3世の勝利を祝福しました。
イスラム国家であるオスマン帝国の支配から、ヨーロッパのキリスト教世界を守ったヤン3世は英雄となりました。
めでたし、めでたし。
では終わりませんでした。
彼の人生はその後下降の一途をたどります。
オスマン帝国との戦いにお金も時間も費やしすぎて、気づけばポーランド国内の政治や財政は手が付けられないほど悪化していました。
そして、近隣諸国から足元をみられたポーランドはみるみる衰退。
国内外で存在感をなくしていったヤン3世。
晩年は持病の心臓発作に苦しみながら、ヴィラヌフ宮殿でひっそりと暮らしました。
ヤン3世とヴィラヌフ宮殿
ポーランド郊外で生まれ育ったヤン3世は、ワルシャワ市街地から時々はなれて自然のなかでリラックスできる場所がほしいと願い、ワルシャワ郊外にヴィラヌフ宮殿を建てました。
ヤン3世と妻のマリア・カジミェラは、ヴィラヌフ宮殿をとても気に入っていたそうです。
芸術や科学が好きだったヤン3世。
宮殿では、彼が集めた家具や時計、美術品などを見ることができます。
ヴィラヌフ宮殿の3つの見どころ
ヴィラヌフ宮殿に行ったらぜひみてほしい見どころを、3つご紹介します。
これぞ王室!豪華な家具&装飾
ヤン3世が生きていた当時の豪華な生活をかいまみることができる、きらびやかな家具や装飾は必見です。
アンティークな「秘密の本棚」
個人的にテンションがあがったのがこれ。秘密の本棚。
見た目だけでも十分かわいいですが、さらにわくわくする仕掛けが。
隠し扉や仕掛けがほどこされていて、一見わからないところに手紙を隠せたりするという代物なのです。
その映像がコチラ↓
欲しい^^
もはや芸術!季節ごとに表情の変わる庭園
きちっと手入れされた芸術的な庭は必見。
ベルサイユ宮殿のようなアートな庭、季節の花々が咲く庭、バラ園やまるで川のような湖など、
バラエティー豊かな自然のなかでゆっくり楽しむことができます。
【基本情報】ヴィラヌフ宮殿への行き方、営業時間、休館日、チケット料金
●住所:Stanisława Kostki Potockiego 10/16, 02-958 Warszawa
ヴィラヌフ宮殿の正式名称は「Muzeum Pałacu Króla Jana III w Wilanowie」。ヴィラヌフにあるヤン3世の宮殿博物館、という意味です。
バスで行く方法
116番、180番、519番のいずれかのバスに乗って、バス停「Wilanów」で下車。
バス停を降りてから宮殿までは徒歩で約10分。
どのバスでも乗り換えなしでいけます。
ワルシャワ中央駅方面から
519番バスが便利です。約30分
旧市街方面から
116番、180番バスが便利です。約35分
116番と180番バスは、平日と休日でルート異なるのでご注意ください。
休日は新世界通りは通りません。
メトロ、トラムで行く方法
ダイレクトで行ける方法はなく、途中でバスに乗換えが必要になります。
バスだと乗り換えなしで行けるので、バスで行くことをおすすめします。
営業時間・休館日
2018年10月時点での情報です。
おでかけの際は公式HPから最新の情報をご確認ください。
公式HP
https://www.wilanow-palac.pl/
宮殿の営業時間・定休日
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休館日
- 冬季の火曜日
- イースター(Good Friday, Holy Saturday and Easter Sunday)※日付は毎年変わります。2018年は3/30~4/1
- 聖体節 (Corpus Christi)※日付は毎年変わります。2018年は5/31
- 8/15 聖母マリア被昇天祭(Assumption of Mary)
- 11/1 万聖節(死者の日 All Saints’ Day)
- 12月後半すべて (2018年は12/15~12/31)
庭園の営業時間・定休日
[table id=2 /]
休館日
なし。強風時は臨時閉園の場合あり。
宮殿・庭園の滞在時間目安
宮殿内:30分~1時間
庭園:30分~1時間
チケット料金
[table id=3 /]
宮殿のチケットタイプはおもに2種類。
ROUTE1は1階部分のみで、ROUTE1+ 2はすべての展示を見ることができます。
ROUTE1で「ザ・ヨーロッパの宮殿」の豪華な家具や装飾を見ることができ、
それにROUTE2を加えるとアジアの調度品やヤン3世が使用していた猟用の武器の数々を見ることができます。
個人的には、観光で訪れるならROUTE1だけで十分かなと思います。
私が訪れた際の様子を書いた記事にROUTE2の様子ものせています。
気になる方は見てみてください↓↓
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毎週木曜は入場無料デーです。
無料の日は混雑して入場時間が制限されることがあるようです。
効率的に回りたい場合は避けたほうが無難です。
ヴィラヌフ宮殿を訪れる際の注意点
ヴィラヌフ宮殿を訪れるさいに事前に知っておくといいことをいくつか書いておきます。
チケットオフィスは宮殿のはるか手前にある
チケットオフィスは宮殿の入り口付近にはなく、かなり手前にあります。
黄色い小屋を見つけて事前に購入しましょう。
リュックは必ず預ける
リュックを背負って宮殿内に入ることはできません。(庭園はOK。)
宮殿内に入る改札の横にクロークとロッカーがあるので、どちらかに預けましょう。
どちらも無料です。
ロッカーは2ズロチコインが必要になります。(使用後に返却されます)
トイレは入り口改札手前のロッカー前
入り口改札を通ったあとにトイレはありません。
トイレは入り口改札付近にあるロッカー前にあります。
無料の解説アプリがある
ヴィラヌフ宮殿には公式アプリがあります。
宮殿内を見学しながら、アプリを使って展示品の解説を読んだり聞いたりすることができます。
日本語はなく英語なのが難点ですが、無料なのでオーディオガイドを借りるよりこちらがおすすめです。
(オーディオガイドは10ズロチ。日本語なし。)
展示品の近くにQRコードがあり、それを読み込むと解説がでてきます。
ただし、解説はかなりの長文です。
あまりに情報量が多すぎて読むのが大変・・
聞くのも英語だからキビしい・・
私は途中で読むのをあきらめてしまいました^^;
まとめ
いかがだったでしょうか。
豪華な宮殿とリラックスできる庭、どちらも一気に楽しめるヴィラヌフ宮殿。
ワルシャワ市街からは少し離れていますが、わざわざ行く価値はありますよ。
この記事を書くためにヤン3世について調べていて、ふと疑問に思ったことがあります。
「世界史を勉強していたはずなのに、ヤン3世なんて名前全く聞き覚えがない・・」
大学受験のために世界史を猛勉強していたのにもかかわらず、です。
おかしい。
もう10年以上前のこととはいえ、記憶の片隅にあってもいいはず。
彼が活躍した「ウィーン包囲」というワードはなんとなく覚えていたのに。
世界史の教科書を引っ張り出してきて、索引の「や」行をみても彼の名前はありません。
ウィーン包囲のページを見てみると、あっさりとした記載が一行だけ。
「オスマン帝国は(中略)16世紀に領土を拡大したが、第2次ウィーン包囲の失敗(1683年)は、領土の拡大から縮小に転じる契機となった。」
あぁ、かわいそうなヤン3世。
英雄とたたえられた彼の活躍は完全にカットされていました。
ポーランドでは相当なページ数使って教えてるんだろうな。
だれもが知ってる日本の偉人も、国が変わればほぼ無名になるんでしょうね。
なんだか面白い。